1860年 |
チェコスロバキアに生まれる。 |
1884年 |
ミュンヘン美術アカデミーへ入学。芸術化協会の活動に参加し、スラヴ画家協会の議長となる。 |
1888年 |
パリのアカデミー・ジュリアンに入学、のちにアカデミー・コラロッシに移る。 雑誌やチラシのための挿絵を初めて制作する。 |
1892年 |
ショルジュ・ロシェグリッセとセグノボが著した『ゲルマンの歴史の重要場面 と挿話』の挿絵を描く。 |
1894年 |
女優サラ・ベルナール最初のポスター『ジスモンダ』をデザインする。その後6年間に渡り契約を結ぶ。 |
1900年 |
パリ万博のボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の飾りつけが銀賞受賞。 宝石商フーケの入口やインテリアを引き受け、アール・ヌーヴォーの最高傑作の一つといわれる。 |
1910年 |
祖国に戻り、1913年まで定期的にパリを訪れ、連作<スラヴ叙事詩>を制作し、 さらにプラハ市民会館の市長サロンの装飾デザインをする。 <スラヴ叙事詩>は、のちにシカゴとニューヨークで展示され大成功を収める。 |
1931年 |
プラハ聖ヴィト大聖堂に新設された大司教礼拝堂のステンドグラスのデザインをする。 また、チェコの紙幣のデザインを担当する。 |
1936年 |
回想録『人生と創作についての三つの発言』を出版。 |
1939年 |
プラハにて肺炎のために死去。<スラヴ民族統一の誓い>が絶筆となった。 |